徳源寺について

徳源寺について

住職挨拶

 徳源寺は文久2(1862)年、蝦夷の地に開創されてから、160年間にわたり地域や檀信徒の皆様と共に歩んできました。私が子供の頃は、多くの檀信徒や地域の皆様がお寺を訪れていました。葬儀や法事をお寺で行うことも多く、その度に大勢の地域の方が参列をされていたほか、何か行持がある度にお寺に集まっていた地域の方の賑やかで楽しそうな声が、いつもお寺に響いていたように思います。
 現在では時代の移り変わりに、「地域と共に歩む」という側面は薄くなり、葬儀や法事などのご供養がお寺の役割として際立ってきたように感じます。もちろんご供養をさせていただくことは大切なことでありますし、ご供養に対して悩みを抱えていらっしゃる檀信徒様も多くいらっしゃいます。「お墓を管理する後継者がいない」「子どもたちに負担をかけたくない」「高齢になって今までのような供養ができない」そのような相談を受けることもございます。 人それぞれの悩みに対しては、お一人おひとりの環境や状況に真摯に向き合いながら、最良の方向性を示せるよう最大限努力をさせていただくとともに、ご供養の際は真心こめてご供養させていただきます。
 一方では人口減少や宗教離れのほか、急速に変化をする時代の中において、お寺ならではの新たな取り組みも積極的に行うことで、お寺や仏教に親しみをもっていただき、多くの方に足を運んでいただけるお寺である必要があると考えております。檀信徒の皆様、そして地域の皆様から必要とされるお寺として末永く歩んでまいりたいと考えておりますので、お気軽にお立ち寄りいただきますようお願い致します。

徳源寺住職 吉田敬徳

曹洞宗

『徳源寺は「曹洞宗(禅宗)」の寺院です』

本 尊
曹洞宗では、釈迦牟尼仏をご本尊としており、「南無釈迦牟尼仏」とお唱えします。
本 山
福井県吉田群 大本山永平寺(御開山 道元禅師)
神奈川県横浜市 大本山總持寺(御開山 瑩山禅師)
の両方を本山としております。
曹 洞 宗 の 歴 史
インドでお生まれになられた「お釈迦様」の教えを代々お師匠様からお弟子様へと受け継いでこられ、今から800年程前には「道元禅師(どうげんぜんじ)」が正伝の仏法として中国から日本に伝え、「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」が全国に広められ、「曹洞宗」の礎を築かれました。
宗 旨 ・ 曹 洞 宗 の 教 え

 曹洞宗は、お釈迦様より歴代の祖師方によって相続されてきた「正伝の仏法」を依りどころとする宗派です。坐禅の実践によって得ることができる身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚し、正しい生き方をすることを目指します。
「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」という禅語があります。
「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることを指し、日々の生活において、どのようなことをしていても、常に坐禅によって得られる安定した心であり続け、安らかで穏やかな日々を送ること、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていくことが大切であるということです。
 また、私たちがこの世に生を受ける時には、仏さまと同じ心「仏心」を与えられて生まれてきた、と道元禅師は説かれております。「仏心」とは、自分のいのちだけでなく、他の人びとや物のいのちも大切にする、他者への思いやりの心でもあります。
 お釈迦様や祖師方の教えのもと、安らかな心で日々の生活の行い一つひとつを大切にするようにこころがけてまいりましょう。

本 尊
曹洞宗では、釈迦牟尼仏をご本尊としており、「南無釈迦牟尼仏」とお唱えします。
本 山
福井県吉田群 大本山永平寺(御開山 道元禅師)
神奈川県横浜市 大本山總持寺(御開山 瑩山禅師)
の両方を本山としております。
曹 洞 宗 の 歴 史
インドでお生まれになられた「お釈迦様」の教えを代々お師匠様からお弟子様へと受け継いでこられ、今から800年程前には「道元禅師(どうげんぜんじ)」が正伝の仏法として中国から日本に伝え、「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」が全国に広められ、「曹洞宗」の礎を築かれました。
宗 旨 ・ 曹 洞 宗 の 教 え

 曹洞宗は、お釈迦様より歴代の祖師方によって相続されてきた「正伝の仏法」を依りどころとする宗派です。坐禅の実践によって得ることができる身と心のやすらぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚し、正しい生き方をすることを目指します。
「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」という禅語があります。
「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることを指し、日々の生活において、どのようなことをしていても、常に坐禅によって得られる安定した心であり続け、安らかで穏やかな日々を送ること、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていくことが大切であるということです。
 また、私たちがこの世に生を受ける時には、仏さまと同じ心「仏心」を与えられて生まれてきた、と道元禅師は説かれております。「仏心」とは、自分のいのちだけでなく、他の人びとや物のいのちも大切にする、他者への思いやりの心でもあります。
 お釈迦様や祖師方の教えのもと、安らかな心で日々の生活の行い一つひとつを大切にするようにこころがけてまいりましょう。

沿革

和 暦西 暦事 項
文久2年1862年文明元(1469)年に松前藩に開創された北海道最古の曹洞宗寺院である法源寺の23世 住職、徹旨得隨大和尚が幕府の許可を得て、法源寺22世祖山太堂大和尚を勧請開山に拝請し、当時オショロ場所を請け負っていた運上屋支配人・田端孫七の尽力と支援により、塩谷海岸近くの吉原地区にて同寺の説教所として開創。
文久3年1863年寺号を太平山徳源寺と公称。古平の禅源寺、石狩の曹源寺と並び、北海道の開拓 三源寺と呼ばれる。
明治30年1897年当初の境内が狭かったことと遊郭地帯であったことから、現在地に移転。
本堂、龍神堂、庫裡が落成。
昭和62年1987年旧庫裡を解体し、納骨堂を併設した新築庫裡が落成。
平成5年1993年本堂の屋根を全て耐久性の高い銅板へ張替え
平成7年1995年山門横の石垣を設置
平成11年1999年境内に梅花観世音菩薩像を造立
平成12年2000年裏門並びに徳源寺坂に石塀を設置

鰊(にしん)漁と北前船

 徳源寺が開創された江戸時代末期は、単なる食用だけではなく、「金肥(きんぴ)」と称されたお金を払ってでも購入する肥料として活用するため、日本という国が蝦夷地の鰊を求めていました。その中でも、小樽を含む神威岬から石狩市厚田までの地域では、明治以降も豊漁が続き、「全道無比の鰊漁場」と呼ばれておりました。塩谷においても鰊漁は盛んに行われ、親方や漁夫のほか、鰊漁に関わった人たちに多くの利益をもたらし、徳源寺の開創や発展に寄与されてきました。
 また、江戸中期から明治末期にかけて、国内では北前船という商業船が活躍しました。北前船は大坂をはじめとした近畿から、瀬戸内海や日本海の各地に寄港しながら商売をし、北海道には開拓物資や生活必需品の移入、北海道からは鰊などの海産物を移出しました。北前船船主は独自の情報網を張り巡らせ、一度の航海で莫大な利益を得ていましたが、一枚帆の木造船であったため、大きな危険が伴っておりました。そのため、北前船に関連した地域の神社や寺院には、海上安全を祈願するための船絵馬が奉納されました。
 徳源寺にも船絵馬のほか、北前船によって運ばれてきたとされる文化財が現存しております。

徳源寺の四季

春 の 様 子
夏 の 様 子
秋 の 様 子
冬 の 様 子